2010年3月7日日曜日

20100307




 国立国際の「絵画の庭」と島成園のはしご。

絵画の庭は、もう一度見に来たい展覧会。
スペースの使い方が贅沢で、個展の集合みたいでした。インンスタレーションや映像が増えてきて、平面は普通…みたいな近頃、でもやっぱり平面って凄くて面白いものと再認識。
個人的に苦手な作品もあるけれど、その作品の良さは納得できたり、やっぱり???なものもあったり。
自分には出来ない発想や表現に、鑑賞者としての楽しさにひたったり。
もっともっと何か出来る事がまだまだあるような…
自分を縛ってるものからもう少し、自由になってみたい。

堺市文化館での島成園は、展示のほかに大阪市立近代美術館建設準備室(大阪市の財政関係の問題やらなにやらで建設がストップしてます)の小川学芸員のレクチャーがありました。
京都の上村松園、東京の池田蕉園、大阪の島成園で三都三園と評されていますが、実際は年齢差もあり当時のビッグネーム上村松園とは比較にならかったとのこと。それでも19歳で文展に初入選、褒状を頂いた後は若いにも関わらず、30名を超える画塾をもち、いまでいうグラフィックの仕事もし、かなりの売れっ子だったそう。そのぶん、相当なゴシップにもなやまされたらしい。
島成園の本格的な画業は10年程だった。それに伴い、現存作品がとても少ない。資料も少ない。それでも、現存する作品がほぼ同時代の上村松園と比べて、強烈な印象…「伽羅の薫」とか「無題」等々…それらにはまったファンはけっこういるようです。今日も雨にも関わらず、座席80席は一杯で追加の椅子も出してたみたい。
画業の続いた上村松園に対し、なぜ彼女は続かなかったのか…という話も。
独立独歩での画業(先生についたり、画塾には入っていなかった。辛い時に励まし合う関係の希薄さ、絵は、町絵師だった父親、兄から見よう見まねで学んだ)、若いうちからの成功(見よう見まねで描いて来て成功してしまった、成り立ってしまった)、自身が先生とならねばならない画塾を持ち、それらのなかで自身がまったく望まなかった結婚(危篤状態の父親が自身の死後の娘の将来を案じ、お兄さんに無理矢理まとめさせたらしい)で、絵だけが描けたら良いという成園、絵もこれからという時の生活の変化は大変だったのではないかという事でした。旦那さんは画業に理解があったそうですが…海外含めた転勤族だったそうです。
また、女性の理想像を追い求め、表現した上村松園に対し、島成園はヒト(女性)としてのゆらぎ、等身大の女性を描こうとしたとの事。そして、そのゆらぎが現代に生きる私達に響いているのでは…としめくくられて、終了しました。

見る事はたのしい。
知る事もたのしい。
作る事もたのしい。

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