桂離宮前庭の山桜。満開です。
十年以上も前、とある日本画家の先生に「あんたは技術的に上手過ぎるから、私は嫌いや」と面と向って言われました。かなり年長の先生でした。その先生の作品は好きだったのですが…なんでいきなりいわれてしまうのかと複雑でした。
技術的に上手いのは決して作品の評価につながりはしませんが、だからといって上手くていけないわけでもないはずで…
日本画の画材の扱いについて多少はしっかりしているかもしれません。
どうしたら絵具をいかせるか考えているのと、どんな風に画材を使うかを決めてから制作に取りかかっているから。
ただ、失敗が無かったわけではなく、実は日本画を始めた一年間にものすごく一杯、それも毎回毎回手ひどいのを繰り返していました。
高校時代美術科だったのですが高校三年になると専門に分かれます。日本画を選んだのは確固たる意志はなく「万年筆がすきかボールペンが好きか」と先生に聞かれ「万年筆」…「じゃあ、日本画」と先生にいわれそのまま日本画に。おまけに、先生は指導室にこもって他の先生とずっとオシャベリ。ほとんど何も教えてくれず生徒を野放し状態。膠のしみが出来ても「せんせ〜シミができてしもた〜」「いいねえ〜そのシミがいいんだよお〜」「???」
それが良かったのか悪かったのかはともかく、自分たちで試行錯誤するしか無く…誰かが買ってきた技法書をみんなで読んだりしていました。その結果、絵具が着かない、動く、割れる、剥落する、冬休み中は暖房がなかったのですがドウサ引きをビチャビチャ状態ですればドウサが引いた直後からプルプルのゼリー状に…
そんなこんなを経ていたので短大入学後に教えられた膠の扱い、ドウサの引き方、胡粉の扱い…いかに高校当時無茶苦茶だったかを知りました。
最初に野放しできたせいか短大では先生の指導をなかなか素直に聞く事が出来ず、好き勝手にやって叱られたり、途中からはどう描いて良いのかわからなくなってしまったりと紆余曲折…そうやって絵具を触ってきたその結果の事なのです。
自分では上手いねん!!と思っていなかったのですが、他人様が言うからそうなのだろうと最近はとらえていますが、岩崎以上に上手いひとはナンボでもおられますし、過去の作家などは現代の作家がおよびもつかないくらい高い技術を持っていたので、だから絶対の高い技術を自分が持っているとは考えません。
ただ、自分自身が描きたいものを表現するためにどうしたらいいか、どうしようか?とやっているだけなのです。
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